Nao-tree’s diary

元OLのスペイン留学奮闘記

留学願望と留学先

海外に興味を持ったのは、小さいときに少し習っていた外国人講師の英会話教室が発端なのかな。

高3で自暴自棄になったときも思い立ったのが海外の大学進学だった。

でも、結局、ドクターストップがかかり断念することに。

ここで海外の大学に進学していたら、またまったく違う人生だっただろうけど。

そのあとは、浪人時代の受験英語が全盛期で、ドクターストップが解けないまま大学卒業。英語はどんどん遠のき、いつしかコンプレックスに。

でも、不思議と留学に対する憧れは消えず、就職してからもシコリのように、

留学行きたいという気持ちがもわーって自分の中を支配していた。

 

今回、私が留学先に選んだのは、情熱の国・スペイン!

ちょうど3年前に観光でスペインを訪れたのがきっかけだった。

今までも10カ国以上旅してきたが、スペインでの衝撃と感動は、

他国では感じたことがなかった。

帰国してからも何故かずっと興奮が冷めず、

留学先として選ぶのに迷いはなかった。

都市の選択においては、留学エージェントに相談したときに

提案してもらったのが、バレンシアだった。

留学先の条件は、豊かな食文化、田舎すぎない、治安が悪くない、

物価が高すぎない、ということ。

 

 

はじめに。〜決心した経緯〜

2016年10月からスペインへ留学することにした。

過ぎゆく日々、ちゃんとどこかに残しておかないと、

思ったこと、考えたこと、感じたことを忘れてしまいそうだから、

日記に残すことにしよう。

 

まずは、スペイン留学実現の経緯。

大学卒業後、大学に就職。

帰りは早いし、給料も悪くなかった。

でも、一緒に働く人は、自分と仕事に対するスタンスが残念ながら違った。

また、異動もほとんどなく、学べることも少なく、思っていた以上に事務作業ばかり。だった。危機感と虚無感から3年半勤めた後、退職。

転職先は、医療系人材紹介会社。大学で人事系の仕事をしていたので、人事労務系の中途採用として雇ってもらった。年収は下がったが、民間会社で働かせてもらえるだけで嬉しかった。

覚悟していたものの、ベンチャー企業ということもあり、毎日帰りは遅く、激務と上司との人間関係に悩み、7ヶ月働いたところで倒れる。

労務系やるなら社労士の資格取ってやる!と意気込んで入社したけど、採用業務で忙殺され、いつしか社労士の勉強が苦痛でしかなくなっていた。

ちょうど、転職しバタバタしていた私には、年明けから付き合っていた彼がいた。

お互いの家が近いことから、すぐに同棲し始めた。

彼は私が日に日に弱り、精神的に追い込まれていくところずっと見てきた。

いつもいつも優しく心配してくれた。毎晩、泣く私の背中をさすってくれた。

結局、2ヶ月、休職することになった。

休職ししばらく経つとゆっくりとこれからのことを考え始めた。

自分でも意に反しながら仕事をしてきたのは、薄々感じていたが、

留学すると決意するまでの踏ん切りがついていなかった。

そんな時に、彼が、

「本当にやりたいことってなに?大事にしたいことはなに?学歴?職歴?年収?違うよね。そんなこと気にしないで、好きなことをして楽しそうにしてくれるほうが見てても嬉しいよ。もっと向いている仕事あると思うよ。」

と言ってくれた。

続けて、「きっと留学したら考えも広がると思うから、本当に行きたいなら行ってきたほうがいいよ。俺は、留学したことが自分の考え方の土台になってるし、留学を通じて学んだことが多いから。」

と言ってくれた。

そう、彼は高校時代に1年間アメリカに留学し、アメリカの大学に進学した経歴を持っていた。

私が漠然と留学したいということは、付き合う前に話していた。

「持病で大学時代に諦めたけど、死ぬまでに留学はしたいな。でも、将来は結婚したいし、子供も産みたい。いつ行こうかなー。」

なんて、そのときは笑って話していた。

でも、休職中にたくさん彼と話しているうちに、

留学を実現するには逆に今しかないような気が段々としてきた。

同じ頃、初めてヒーリングを受けた。

自然と涙が出て、心が解放された。

そして、留学への気持ちが固まった。